2025/12/29 22:24

「カルチャー」という言葉が、あまりにも安易に使われる時代になった。
だからここで、一つ問いたい。僕たちが今いるこの場所、フードデリバリーの最前線は、果たして「カルチャー」と呼べるのだろうか?
「フードデリバリーのカルチャーがあってもいいよね」
何人かに、そう言われることがある。
好意で言ってくれているのは、わかっている。
だが、心のどこかで静かに首を横に振る。正直に言うと、ずっとそのことに疑問を感じていたからだ。
カルチャーを、カルチャーたらしめるもの
僕がかつて身を置いたメッセンジャーの世界。あれは、間違いなく「カルチャー」だった。
そこには、揺るぎない「核」として、一台の自転車があった。
同じ釜の飯を食う仲間がいて、ライバル会社のメッセンジャーとさえ、街中で出会えば互いをリスペクトし合う、目に見えない絆があった。
音楽、ファッション、アート… 様々なカルチャーと深く結びつき、僕たちは、都市という巨大な生命体の一部として、確かに呼吸をしていた。
カルチャーとは、共有された「魂」「美学」「仲間意識」、そして何よりも、ボトムアップで生まれる、有機的な熱狂のことだ。
僕たちが今いる、冷たい現実
では、フードデリバリーの現実はどうだ?
僕たちの上には、海外の巨大な資本が存在する。その巨大なシステムの末端で稼働する、代替可能なパーツだ。
君の言う通りだ。僕たちは、ただの捨て駒じゃないか。
そこには、メッセンジャーのような「核」はない。自転車で走る者もいれば、バイクで走る者もいる。目的はただ一つ、「効率的に、配達を完了させること」だけだ。
仕事は、一人で完結する。顔なじみはできても、その関係はどこか希薄で、あっさりしている。それは「仲間」というより、「同業者」という言葉の方がしっくりくる。
日本にこの形が生まれて10年近く経つが、そこから独自のスタイルやムーブメントが生まれたという話を聞かない。
それは社会インフラの歯車として、ただ静かに、効率的に回り続けているだけだ。
フードデリバリーは「カルチャー」じゃない。
なぜか?決定的な一言を知っている。
「フードデリバリーって、ダサいよね」
世間から投げかけられた、たった一言。
悔しいが、否定はできない。街中で見かける配達員の姿は、決してクールとは言えないことが多い。
そのことは知っている。
だが、それでも。
深夜の静寂の中、ライトの光を頼りに、空っぽの街を独占して走る、あの瞬間。
システムに組み込まれながらも、その中で自分だけの最速ラインを見つけ出し、街を支配する、あの全能感。
それが、最高にクールだと感じてしまう自分が、確かにいるんだ。
世間の評価と、僕自身の魂が感じる美学。そのギャップにずっとヤキモキしてきた。
だから、SLOWSUUは存在する
そして、気づいた。
フードデリバリーは、まだ「カルチャー」じゃない。
だからこそ、この手で、その「魂の器」を創り出す意味があるんじゃないか、と。
SS-RUSH PACKは、そのための、SLOWSUUからの最初のアンサー。
これは、システムに媚びた、効率のためだけの「箱」じゃない。
これは、巨大なシステムの中で、それでもなお「個」として、スタイルを持って戦うことを選んだ、孤高のライダーたちのために。
では、フードデデリバリーは、カルチャーになり得るのか?
まだ、わからない。
だが、街中で別のライダーが「箱」じゃないバッグを背負っているのを見かけた時、それが誰のであろうと、あの頃のような仲間意識の閃きを感じ、無言の頷きを交わしたとしたら。
そうだな。
たぶん、そこが、カルチャーの始まりなんだろうな。
